BASSOを詳しく解説

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BICYCLE

BASSO(バッソ)の取扱いカテゴリ(自転車)

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BASSO(バッソ)について

BASSO(バッソ)の創業は1979年とイタリアブランドとしては比較的新進のブランドながら、フレーム性能の高さと堅実なもの造りで、目の肥えたホビーレーサーなどから高い人気を誇る。
その最大の特徴は、フレーム素材のクオリティーの高さ。創業以来、この点に焦点をおいて努力を続けています。

BASSO(バッソ)の歴史

1979年 創業

歴史

かつてレーサーだったマリノ・バッソと二人の弟によって興されたブランドBASSO(バッソ)。
長男のMarino はプロとしてMerckxやGimondiといった有名選手と共に輝かしい日々を過ごした選手で、1981年に引退するまでに、ツール・ド・イタリーのステージを含め国内外あわせて82勝をしている。
特に1972年フランスGapで行われた世界選手権で、レース終盤でエースの Bitossi を Guimard と Merckx が追いかけ、この2人を抑えようとスプリントし、そのまま優勝してしまったエピソードは現在も語り継がれています。
3人の兄弟が中心となってBASSOの高いクウォリティを支えている。
次男の Renato は他の2人の兄弟とは違い、1974年にドイツ、テュービンゲン大学を卒業し、その後パドアの大学院へ進み哲学の研究に従事し、同時にBasso の経理部門を助けました。
三男の Alcide は、若い頃からプロショップの職人のもとで修行を積み、19歳のとき技術学校を卒業後、すぐに家のガレージでフレームビルダーとしてスタートし、彼は10代の時から長男Marinoのチームメカニックを務めました。
その当時はヨーロッパのトップクラス、ツール・ド・フランスやイタリア国内の数え切れないレースに同行し、Salvarani、Bianchi、MagniflexやSelle Royal-Inoxpranといったチームで、Gimondi、Adorni、Mike Neel、Bertoglil、Battaglin のようなチャンピオン達とともに仕事をしました。
プロの選手、プロの経営者、プロのメカニック、この3人がBASSOを支えています。
現在も、パドア及びグラッツ(オーストリア)の大学の多くのエンジニアや地元の企業及び研究所と協力し、開発が続いています。
さらに興味深いのが、ドイツマーケットを重視しているという点。「ドイツの消費者は決してブランドや名前でごまかされない。彼らは本当に良いものが何かを知っているし、また良いものでなければ受け入れない。プロチームへスポンサードするメーカーは数多くあるが、多分に商業的な要素がある。ひょっとするとお金でハイクオリティーというイメージを買えるかもしれないが、私はその方法は好きじゃないんだ。BASSOがドイツで受け入れられていることがBASSOが良い自転車だと証明できる一つの理由だと言えるよ」
これまで地道な努力があるからこそ、こんなことが言えるのかもしれない。 これまでもその高いクオリティが認められ続けているBASSO (バッソ)。